spark
ニコラスから麻薬を売り捌いている売人がいるという情報を得て、葛城に指名を受けた陣内と才木は車を走らせ現場に向かった。
近くのコインパーキングに車を停め、助手席から降りた陣内が改めて才木の格好を一瞥してニヤニヤと笑う。
「やっぱシバに頼んで正解だったな。似合ってるぜ、あの時より」
「いい加減、忘れてください……」
一方で才木はバツが悪そうな表情を浮かべている。
陣内の言う『あの時』とはナイトクラブの潜入捜査の際、特捜の面々から散々突っ込まれた才木のトンデモファッション─全身豹柄─のことだ。
コーディネーターに指名された柴原いわく「派手な格好より、落ち着いた色の服の方が似合うと思うんすよ。んで、髪もちょっといじったほうがいいかも」とのことでワックスで毛先をやや遊ばせている。
そんな才木の今回の服装はというと、ブルーグレーの薄手のトレーナー、細身のブラックデニムにショートブーツといった着こなしだ。銃の携行を隠すために黒いマウンテンパーカーを羽織っている。プライベートならまだしも、職務上ではいつもキッチリとスーツに身を包んでいる才木は落ち着きなくそわそわしていた。
「こういう格好で潜入捜査ってまだ慣れないんですよ」
「これから嫌でも慣れてくから安心しろ」
そう言い放つ陣内はいつもの黒シャツに黒ズボンに加えて、同じく銃の携行を隠すためにモスグリーンのミリタリーパーカーを羽織っていた。上背があるうえに控えめに言って風貌に気を遣っていないため、横に並ばれるとどこぞのチンピラにカツアゲでもされているように見える。せめて歩き煙草はやめてほしいと才木はため息をついた。
そんなことを考えながら歩いていると陣内の携帯が着信を告げた。発信は葛城だ。才木にも聞こえるようスピーカーに切り替える。
『現場についたか。いま棗に近辺の監視カメラを調べさせている。そのまま対象との待ち合わせ場所に向かってくれ』
「了解。──あ、そうだ課長」
『なんだ?』
「綿貫、こっちに来れそうですかね」
本当は陣内と才木だけでなく綿貫も同行予定だったのだが、別件の要請が重なってしまい、やむを得ず二人で出向くことになってしまった。フィジカル方面に強い人間が多い方がなにかと好都合なのだ。
『さっき戻るとは連絡があったが……ん?どうした、棗』
声が遠のく。棗が何やら隣で葛城に話しているらしい。数秒後、再びスピーカーから葛城の声が戻ってきた。
『……無理そうだな。ちょうど綿貫がいる方面でトラックの横転事故があったようだ』
「あらら、俺らで頑張るしかないってことね」
『そういうことだ。棗をサポートにつける。実働が二人だけで悪いが頼んだぞ』
§
才木は薄暗いビルとビルの隙間に立ち、対象の売人がやってくるのを待った。
以前のナイトクラブでの潜入捜査と同様、才木が囮になり薬を受け取ったのを見計らい確保する手筈になっている。陣内は対象の視界に入らないようビルの奥まった死角で待機していた。
『ヘマしたら酒おごれよ』
耳につけたイヤホンから陣内の揶揄うような声が聞こえる。ムッとしながら才木も言い返す。
「じゃあ陣内さんがヘマしたらご飯奢ってください」
『言うようになったじゃん、期待してるぜ?』
まったく期待していなさそうに笑われる。いつか見返してやりたいとは思っているが、経験値も能力も段違いだ。今は確実に任務を遂行することが特捜に貢献できることだと才木は気を引き締める。
『──お出ましだ』
ややあって先の方向を見ていた陣内が呟く。まだ才木の視界に対象は入っていない。
ようやく才木の目に捉えられるような距離になった瞬間、能力が発動した。
モノクロの映像に対象が映っているが、才木たちがいる路地には来ず踵を返して走り出している。そしてそのまま別の入り組んだ路地に入り込み才木たちは対象を見失った──というところで映像が途切れた。
「陣内さん!対象逃げます!」
『は?』
陣内がイヤホン越しに困惑した声を出したのと同時に対象が踵を返して才木達に背を向け走り出す。才木も路地を飛び出した。陣内も奥の死角から追いかける。
「待て!」
なぜ逃げたのか。麻取だと気づかれるなにかがあったとは思えなかった。走りながら考えを巡らせる才木の脳内にまたしても映像が流れ込む。
路地をめちゃくちゃに走り回った対象が路地の突き当たりで止まり、冷静を欠いた対象がポケットから小さな紙袋を取り出した。中身を手に開け後に口に放り込んだ。小さな錠剤のようななにか──その「なにか」を判別する前に映像は途切れた。
状況が状況だけにドープの可能性はおおいにあった。
後ろから追いかけてきた陣内に『視えた』ことを走りながら告げる。
「対象はドープを所持しているかもしれません」
「服用されたら厄介だな」
才木の言葉を聞いて陣内は眉を顰めた。
どちらにせよ対象の足止めができそうな場所まで追いかける他ない。
しかし対象は脚力に自信があるのかなかなか距離が縮まらない。それに加えてあまり土地勘もない場所だ。今以上に入り組んだ場所に入られたら見失ってしまうかもしれない。陣内は小さく舌打ちし、
「あーもう、埒あかねぇ。足でも撃つか」
さらっととんでもないことを言いつつ懐から銃を取り出した。瞠然とした才木が発砲を制止しようとした時、今度は今までと比べものにならないめまいのようなものと同時に映像が流れた。今日はやけに回数が多い。
才木を追い越した陣内が対象の足を止めようと拳銃を取り出し引き金に指をかけると、対象がポケットから何かを取り出した。手のひらにすっぽり収まる円柱状のもの。それを追いかける二人に向かって投げた瞬間、強烈な光と爆発が起きる──。
映像は途切れ、才木の走るスピードが落ちていたのか、いつの間にか陣内が先を走っていた。遮られて対象の姿は見えないが、陣内が銃を構えているようにも見えた。もし先ほど見た映像のことが起き、路地裏の暗い場所でそんなものを投げたらどうなるか。
カツン、と音がして陣内の足元に円柱状のものが見えた。
躊躇っている場合ではない。才木は足を強く踏み込んで、陣内と対象の間に立ちはだかる形で前方に滑り込み素早く自分が羽織っていた上着を陣内の目を遮るように投げる。
「伏せて!!」
「!」
向かい合うように銃を構えていた陣内が目を見開く。才木が叫ぶと同時に白い光が周囲を包んだ。
§
「一般人がなんであんなもん持ってんのよ……まあ売人って時点で一般人じゃないけど」
身柄を拘束され、引きずられるようにパトカーに乗せられる対象を横目で見ながら陣内は呆れた声を出す。
対象が投げたのは閃光弾だった。能力を発動していた陣内が真正面からそれを浴びればひとたまりもないと判断した才木は陣内に向かって自分が着ていた上着をとっさに目隠し代わりに投げた。
とはいえドーパーでなくとも一般人でもあんな至近距離では目が潰れていただろうが。
「お前ね……俺がまだ発砲してなかったからよかったものの……」
危なかったぞ、と小言をいう陣内に、才木は怪訝そうに眉を顰めた。
「すみません、よく聞こえません」
「音声認識みたいなこと言うんじゃないよ」
「なにか言ってるのは分かるんですけど、音がこもって聞きづらいんです」
ここに課長が居なくてよかった、と才木はひとり安堵した。
閃光には背中を向けていたのと服の下に防弾チョッキを着ていたのが幸いして才木は怪我こそ軽傷で済んだが、破裂音で聴覚が一時的に使いものにならなくなってしまった。
閃光弾を投げられた後、二人は数秒動けずにいたが、才木に大きな怪我がないことを確認した陣内は、その場から消えた対象を追いかけた。幸いリアルタイムで周辺を監視カメラで追跡していた棗と葛城から連絡が入り、そのおかげで対象に追いついて宣言通り陣内は足を撃ち抜いたことで足止めすることができた。
逃げた理由を問うと、対象は売人ではなく運び屋で、依頼人から指定の場所─才木達と会う予定だった路地裏─に向かっていたが、渡す直前に欲が首をもたげた。所持していたドープを含む薬物類を持ち逃げし、利益を得ようとしたのだ。
しかし路地裏からは見えないと思っていたら、後ろから二人に追いかけてこられて生きた心地がしなかった。麻取だということはまったく知らなかった、と話した。対象は陣内の驚異的な視力と才木の第六感に知らず知らずのうちに翻弄されていた。
「依頼人にハメられたと思って焦った」
むしろ依頼人は関係なく、対象が早合点して自滅したにすぎない。とはいえ勝手にドープを持ち逃げした時点で、依頼人が対象を消しにくる可能性はおおいにあった。
陣内に撃たれた足だけで済んだと思えば僥倖だろう。
閃光弾の出所については「数日前に露天商の男から買った」としか分からずはっきりとしなかった。見つけられる可能性のほうが低いと思いつつ、念のため特徴を問うと白髪で日本人離れした雰囲気だった、と話す。
白髪で日本人離れ、と言われて陣内はひとり心当たりがなくはなかったが、さすがにそれだけでは確証はない。
「陣内さん?」
対象とのやりとりを思い出しぼんやりとしている陣内を訝しんだ才木が声をかけた。
「どうかしました?」
「いや、なんでもない。……ってお前なんでそっちにいんのよ」
運転席に乗り込もうとしていた才木を止めた。
「耳なら大丈夫ですよ、まだ完全じゃないですけど」
「無理すんな。あと戻る途中で事故られても困る」
「心配してるのかそうじゃないのかどっちなんですか……」
とはいえ陣内が言うことももっともなので、才木は素直に厚意に甘えることにした。
シートベルトを締めてひと息ついたところで陣内が口を開く。
「飯行くか」
「え?」
才木の間の抜けた返事に、陣内は少しだけ気まずそうな顔をしている。
「助けてもらったからな、……一応」
ヘマをしたほうが奢る、という約束の話を言っていることに気づくまで数秒かかり才木は目を瞬かせた。陣内なりの感謝の言葉なのだろうが本当にこの男は素直でない。
「……明日、大雨降りそうですね」
「おい」
「冗談ですって。──ヘマをしたというのなら俺もなのでおあいこです」
よくよく考えれば陣内の能力であれば閃光弾を撃ち抜くことだってできたはずだ。陣内の言う通り、発砲しようとしている目の前に出るべきではなかった。
「一旦戻って課長に報告したら『SPICE』行きましょう」
「じゃあお言葉に甘えて高ぇ酒飲ませてもらうわ」
「それとこれとは話が別です!」
そんな軽口を叩きながら二人は帰路についた。