SEA

腐向け/♠√ノーマルエンド後の数学組

「やはり8月終わりの海は寒いな」
数時間前に連絡を受けた私は、3ヶ月の交際期間の後に別れを告げられた彼の傷心旅行に付き合うことになった。彼の特殊体質とやらが効かない『稀有な存在』だった彼女は、ついに彼の手に落ちることはなかったのだ。
いつぞや私は彼女に『もしも君が彼の想いに応えてやれると思うのなら、彼を絶望から救い上げてやってほしい』などと話したが、今更ながらなんと無責任なことを言ったものだとひっそりため息をついた。
「…おい、イッキュウ。玄関に突っ立ったまま何を呆けている。早く足を拭け」
私が放り投げたタオルを掴んで彼はゆっくりとした動作で靴を脱いだ。紐の隙間から海水が入り、早く真水で洗って乾かさないと使いものにならなくなる。靴だけではない、ズボンもかなり濡れていた。
「まったく…本当にそのまま海に入る馬鹿があるか」
「だってめんどくさかったんだよ…」
「だから入水は薦めないと言ったんだ」
着替えを出そうと鞄を探る彼の背中に向けて私は言い放った。すると彼はピタリと動きを止め呟く。
「…ビックリした?僕が本当にいなくなると思って」
「…………」

海に着くなり彼は一直線に走り出し、砂浜から海へ入っていった。浅い場所でそのまま膝をついてしばらく俯いていた。バシャン、という飛沫が上がる音がやけに耳に残っている。
笑っているのか泣いているのか。ただひとつ言えるのは彼が本気で彼女を愛していた事実だった。
私の胸の僅かな痛みも知らないままで。

数分前の出来事をまるで遠い過去のように思い出していると、彼は困惑したような顔で振り向いた。
「そこで黙らないでよ、僕が恥ずかしいじゃない」
そのまま立ち上がり、濃紺のシャツとズボンを片手に風呂場へ足を向けた。
「…君が望む答えは、本当は彼女に言って欲しい言葉だろう。私が何か言ったところで君が救われるならば別だが?」
「…本当、可愛くないね」
「なんとでも言うがいい」
そう言ったと同時に彼の姿は脱衣所の向こうに消えた。

*

行きがけに購入したアルコール類が底を尽き(その大半を彼が呑んでしまったが)、怒涛のように彼女への愛を語っていた彼の口が徐々に大人しくなってきた頃。
唐突に彼がポツリと呟いた。
「あーあ、ケンが僕の彼女だったらよかったのに」
ついに酔いが回りすぎて目までおかしくなったか。いや、目がおかしいのは元々だったか。そもそも私はあの特殊体質を未だ信じてはいないが。
「…こんな体格のいい女性が好きなのかね君は」
「………っ、はは」
一瞬の沈黙の後、今度は何かを思い出したかのように笑いだした。そんな彼の様子を見て、そういえば彼が笑ったのは今日はこれが初めてだったと気づく。顔には出さないが少しの安堵と共に私は尋ねた。
「なんだ?そんなに笑えるようなことを言ったか」
「いや、ゴメン…ふふ…前に冥土の羊のフェアで女装したことあっただろ?あれを思い出しちゃって、さ」
「…………」
私は頭が痛くなった。よりによってそれを思い出すとは。
体格だけでも大変だというのに、私の場合更に長身も加わりなかなか制服のサイズがなく、そこまでやる意味が分からないと食い下がったのも記憶に新しい。着替えが終わった後サワやミネに笑われる始末で、人生の汚点になるくらいの出来事だった。
しかしーーー何も収穫がなかったわけではなかった。
『どう?似合う?』
悪戯っぽく笑った目の前の悪友は、トーマやシンよりずっと似合っていた。贔屓目ではなく、本当に。流れるような銀髪のロングと容姿が恐いくらいに美しいとさえ思えた。
「…君のほうがよほど似合っていた」
「うーん。褒められてもあんまり嬉しくないけど、…あ、でも確かに体格的には僕のほうがいいのかな」
「いい、という表現の仕方がおかしいと思うが…ハァ…なんとも不毛な会話だな」
浮かんだ気持ちを振り払い、またひとつため息をついた。私は少し覚束ない足で立ち上がり、転がっているアルミ缶を拾う。どうやら彼と同じペースで飲んでいたためか、酔いが回るのが早かったらしい。とはいってもテーブルに突っ伏している彼よりはマシだが。
「イッキュウ、もうそれくらいにして寝たらどうだ。私もそろそろ休みたい」
備えつけの時計に視線を向ければ針は夜中3時前をさしている。いつものペースならまだ遅くまで起きていられたが、今日は違う要因も加わり疲労も大きかった。
「んー…ベッドまで連れてって」
顔を上げて彼は私の足にもたれかかった。布越しに体温が伝わる。
「ベッドは君の真後ろにある」
それを無視して私は身を引いてベッドへ足を向けた。背中の支えを無くした彼の体はゴン、という鈍い音と共に床へ倒れ込んだ。
「痛っ…ちょっとケン!酷くない?!」
床から起き上がり、頭をさすりながら私の方を向いて彼は悪態をついた。
「寄りかかった君が悪い。酔いが覚めたようで何よりだな」
眼鏡をサイドボードに置いて私はベッドにもぐりこんだ。アルコールの所為もあって横になってもふわふわとした浮遊感は消えなかった。横で彼が何か言っているのが聞こえたが、彼は放っておいてもそのうち眠るだろう。さすがにまた海に行こうなどという馬鹿な真似はしないはずだ。そんなことをして戻ってきたら閉め出すつもりだが。
瞼が重くなり微睡みに意識を手離そうとした時、背中に何やら感触を感じた。背中を向けたまま、私はその元凶に声をかけた。
「……イッキュウ」
「あれ?もう寝たかと思ったのに」
ごそごそと布団を持ち上げ、彼は私のベッドへ
「寝ようとしていたのを君が妨害しているんだ。…さっきも言ったはずだが、君のベッドは隣だ」
「えーそんなつれない事言わないでよ」
「何を好き好んで、ベッドひとつ男2人並んで寝ないといけないのかね」
「もー、ホント冷たいんだから」
完全に私のベッドに入り込んだ彼は両腕を私の体に回してきた。アルコールを摂取した所為で腕がひどく熱く感じた。
「…これもさっき言ったが、私は君の彼女ではない」
「うん…分かってる…分かってるよ」
「…………」
彼は私の背中に顔を押し付け静かにそう呟き、そのまま回された手は私の服を掴み離そうとはしなかった。

end.